■ 四輪との四つ相撲 ■
 
 免許を取得し、奥方に内緒でバイクを購入し、晴れてモーターサイクリストの仲間入りとなって丸5年を経過しました。この間、「氷上のアイスダンス」「新品タイヤでの摩擦係数の測定」で、大きな転倒事件は起こしてきましたが、自損のみで相手が居たわけではなく、楽しいバイクライフでした。ところが、H14年暮れに、こともあろうに四輪と四つ相撲を仕掛けられ、これに応えたばかりに、平和で楽しいバイクライフから遠ざかってます。以下に顛末を書きますが、参考にはならないでしょう(自信有り)。
■ H14年12月15日
 寒い季節は、暖かい所にツーリングを、というお約束の発想で、12月15日の目的地は伊豆半島に決定。前の晩、シコタマ飲んだこともあり、寒さも手伝って起き出したのは、何時もより1時間以上も遅くて、時間ゲットのため、高いお賽銭を払って東名と厚木・小田原道を使用。この後は、下道で半島の先っぽ下田を経て、次いで西海岸を北上し、途中から、修善寺の半島のど真ん中へ。幾つかの城攻略も終え、大満足の城攻めツーリングになり、そろそろ帰ろうか、という段になって、時間が廻り過ぎていることに気付く。普段なら、当然把握しているんだが、魔の悪い時って、だいたいこういうパターンなんですネ。急いで帰るのにはどうすれば良いかというと、当然「お賽銭を払って自動車道」しかありません。で、伊豆スカイラインを使おうと、魔の悪いアルコール変調がかかった人間GPSは答えを吐き出しました。今思うに、もっと良いルートが在るのに....。そのGPSのご託宣の通り、修善寺町から伊豆半島の中央部を走るスカイラインへ向けて走り出しました。修善寺町から隣の中伊豆町に入って、すぐのところで、またまた「魔」です。道路右側から、白い車がウロウロ入ってきて、反対車線を同じ方向にフラフラ(?)走り出しました。「何じゃぁ、この車は」と思いながらも、私はそのまま走りつづける内に、前を走っている白い車は、左ウィンカーを出してきました。「おいおい、こっちの車線に入ってくるんじゃ、ねーだろうな」と思う間もなく、入って来るではあーりませんか。「うそだろう」と思った瞬間までは、しっかり憶えているんですが、後は分かりません。気が付くと、横になっている、オイラと愛馬。そして立っている人間1名。その人間「警察呼んだ方が良い?」と訳の分からない質問をしてくる。「当たり前だろう、バカ野郎」と怒鳴ってもよいのだが、その時は「ひょっとして、悪いのは俺?」と考えてしまう小心者。で、力なく、「頼みます」の一言。その時、ようやく愛馬の無残な姿を眼にする俺。その頃には、回りに野次馬が集まりだし、とりあえず野次馬に頼んで、愛馬を起こして、その無残さに涙。タンクにエクボ、フロントフォークは少し曲がっている、当然マフラーはガリガリ、ウィンカーが折れている、....、しばし呆然。ようやく、自分の身体のことを気にするも、頭が痛いだけで、他は異常なさそう。う〜ん、良かった。正直良かったです。

 ものの5分もせず、救急車が到着し、アレコレ聞かれまくる。そして10分ほどしてパトカーが遅れて到着。同じようなことを又しても聞かれまくる。どうも、命に別状が無い、と判断したようで、頭が痛いなどということには関係無く、のんびり時間は過ぎていく。その内、質問タイムは終わり、救急車の中へ入るも、一向に走る様子無し。「ん〜?」と思っていると、救急車の関係者いわく「今日は事故が多くて、対応してくれる病院が無くて、現在探している」とのこと。オイオイ、大丈夫かいなぁ。相手車両の助手席に乗っていた若いお兄ちゃんは、左腕を骨折(後から聞いた話では、打撲だけだったようで二日の通院のみ、良かった良かった)したらしく、少しでも手を動かせないらしい。まぁ、命に別状無いから、ユックリでも良いんだけれど、遅くなるのはいやだなぁ。東京に帰られるんだろうか。確か、明日の月曜日には会議が入っているし...、などとウツろに考えていると、事故から1時間ほど経過して、救急車発進。初めての救急車である。何か落ち着かない。それにしても、随分の時間乗ったゾ。で、着いた時は、回りはすっかり暗くなって、もう【 夜 】。どこの病院かも分からず、脳外科医の医師の前に座らされ、アレコレ質問やら、手をうごかせ・足を曲げよ....の攻め。どうもこの段階で、脳の方への損傷は無いようであることが判明、良かった良かった。でも、念のためMRIを撮りましょう、ってんでMRI室へ。これも初めての体験。う〜ん、喜んで良いのかいなぁ。結果はすぐに分かり、輪切りにされた頭部を、医師と一緒にマジマジ眺めます。どうも何ともないらしい。ただ、1〜2ヶ月経ってから、頭部の硬膜が下がり血腫になることも有るので、要注意とのこと。特に50代のノンベイは危ない。って、俺のことじゃないか。心配になるが、こういうことって自分ではないという自信有り。
 タクシーで最寄のJR駅へ。ここから2つ目の駅が沼津駅ということは、事故現場からとんでもなく遠い病院まで運ばれたんですナ。タンクバッグやらシートバッグ、ヘルメなど、かさばって重い荷物を担いでJRに乗り、三島からは新幹線で帰京。「おーい、帰ったヨ」に対し、相方は「大丈夫?」だけで終わり、少しは心配しても良いのでは。まぁ、とにかく疲れた一日だった。
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